成長の秘策ゴチになります!

HOST

株式会社ベネフィット・ワン
代表取締役社長

白石 徳生氏

エイベックス株式会社
代表取締役社長CEO

松浦 勝人氏

GUEST

Guest Profile

松浦 勝人(まつうら・まさと)

1964年、神奈川県横浜市生まれ。88年、現在のエイベックスの前身となるエイベックス・ディー・ディーを設立し、レコード輸入卸販売業を開始。その後、自社レーベル「avex trax」を設立し、TRF、浜崎あゆみ、EXILE、AAAら数多くのアーティストを輩出。現在は「avex group成長戦略2020~未来志向型エンタテインメント企業へ~」を掲げ、音楽、アニメ、デジタルの注力事業に加え、新規事業や海外事業を展開し、さらなる成長を目指す。

第36回マネタイズの手法が変われど、 “人磨き”がエンタメ世界の成長を生む

1.貸レコード店から仕入れ代行、メーカーへ

松浦さんの起業の経緯について教えていただけますか。

大学生のときに一つ会社を作り、その延長線上で卒業後の1988年にエイベックス・ディー・ディーを設立しました。

最初は貸レコード業をされていたと記憶しているのですが、どうやって現在のレコード会社にまで事業を拡大されてきたのですか。

そもそもは貸レコード店のお客のひとりでした。大学生時代にそこでアルバイトするようになり、その店のオーナーから「もう一軒フランチャイズ(FC)の店を出すからやらないか」と誘われて、大学4年の時に会社をつくってお店を経営するようになりました。

経営そのものは順調だったのですが、しばらくすると店周辺の人口などを考えると売上げの限界が見えるようになりました。そこで売上げアップ策として、周辺の貸レコード店に対してサービスや商品を提供しようと考えました。その頃ほとんどの貸レコード店はFCで、「儲かるから」という理由だけで音楽をあまり知らずに経営している人も多かった。ですから彼らの代わりにレコードを仕入れてあげて、店頭でPOPを付けるなど、さまざまなサービスを提供していこうと。そうすると依頼がどんどん増えていき、確実に売上げが伸びていきました。「その代行ビジネスは面白いから、それだけ切り取ってやろうよ」と誘われて設立したのが、エイベックス・ディー・ディーです。

貸レコードの仕入れ代行に変わったのですね。

そうです。輸入盤の仕入れ代行です。最初は卸から買っていたのですが、販路を拡大していくと貸レコード店からの値下げ要求もあり、それに応えるため海外から直接輸入することにしました。すぐに輸入卸として一番の存在になり、海外のレーベルと知り合うようになったので、今度は曲の権利を買ってその輸入盤を貸レコード店へ流通させました。既存の輸入盤を買うよりも、自分たちで選曲したものを買い取るほうが圧倒的に利益率も高いわけです。そのうちにプレスそのものを自分たちでやっても、手間はそんなに変わらないことに気付き、権利を買って日本でCDをプレスして貸レコード店に流通させるようになりました。レンタルで人気になるんだったら、ついでに一般のレコード店にもCDを卸したら、ということになり、気づいたら、結果的にレコード会社になったのです。

2.ダンスミュージックにフォーカス 新しい音楽ジャンルを確立

レコード会社になったのはいつごろですか。

88年から91年くらいまでは輸入の問屋がメインでしたが、90年あたりからはメーカー的な動きもするようになりました。

実は私も大学生時代、88年頃にバリ島でミュージックテープを仕入れては日本の大学の学園祭などで売るという商売を、生まれて初めてやったのですが、意外なほどバリ島のクラブミックスがよく売れましたね。

そんなことをされていたんですか。

そうなんですよ。ところで、メーカーとしての機能をもつようになり、すぐに日本のアーティストも手掛けるようになったのですか。

最初はダンスミュージックにフォーカスしてそれしかやらないと決めていました。「インディペンデントのダンスミュージックしかやらないレコード会社です」というのを売り文句に営業していました。海外のユニットのダンスミュージックの権利を買ってコンピレーションにするビジネスでした。白石さんのバリ島のクラブミックスのお話のように、何か名前がないと売れないので、人気ディスコのマハラジャやジュリアナ東京の名前を付けてコンピレーションにしてリリースしていました。ジュリアナ東京が社会的なブームになるのと同時に、「JULIANA'STOKYO」のCDも大ヒットしました。「JULIANA'S TOKYO」のCDにも、自分たちで作ったテクノの楽曲を混ぜていたのですが、結果的には、そちらの曲の方がヒットしましたね。それなら海外からライセンスを受けるよりも、最初から日本で作ったほうがいいんじゃないかと、日本のアーティストのカバー盤を作ろうと考えました。

それでTM NETWORK の小室哲哉さんを口説いてTMNのユーロカバーをリリースしました。小室さんは当時の私たちを面白く思ってくれていたんじゃないでしょうか。「もっと何か(新しいことを)やろうよ」と言われて、プロデュースしてくれたのが新しいダンスミュージックのグループ、trfでした。ダンサーとDJとボーカルというユニットはそのころはまだ異色で、周囲からは驚きのほうが多かったと思いますよ。

3.業界大手と競うことなく、 独自戦略で急成長を遂げる

なるほど。新しい音楽のジャンルを確立されたんですね。

当時は「ダンスミュージックしかやりません」と言うと、「えっ?」という感じでした。ディスコはあったもののダンスミュージックというジャンルは意外と浸透していなかった。海外ではそれだけで食べているプロデューサーもたくさんいるのに、日本では洋楽の片手間でやっている感じでしたから、そこに思いきりフォーカスしたんです。

そういうことですか。でもまだ当時は、大手AV機器メーカーなどの資本をバックにしたレコード会社が影響力を持っていた時代だったと思うんですが、御社のような独立系の会社は大変ではなかったですか。

大手には相手にされなかったですね。流通を申し込んでも全て断られていました。90年から「SUPER
EUROBEAT」シリーズを発売したのですが、「ユーロビートなんてもう過去のものだから売れない」と失笑されました。最後の最後にクラウンレコードさんから流通したいと返事がきて、ようやく流通できるようになりました。「JULIANA'S TOKYO」のように、特定のアーティストものでないアルバムでうちは売上げを伸ばしていましたから、大手さんに気づかれずに成長することができました。

当時はプロモーション方法もよくわからず、CMの深夜枠を買って流しまくっていただけなのですが、それがうまくはまってくれました。気がついたら「ぽん!」と売れていた、という感じでしょうか。

確かにエイベックスさんのCDのCMは印象的で記憶にありますよ。

4.エンタテインメントの流行は若者の熱量がつくり出す

いまは定額制の音楽配信ストリーミングサービスをはじめ、事業の形態が多岐にわたっていますよね。

音楽・映像パッケージ制作・販売・配信、ライヴ制作、マネジメントなどに分けられますが、すべて音楽・エンタテインメントに関わることです。

現在社員はどのくらいになりましたか。

アルバイト、海外もすべて含めると1800人くらいですね。

音楽業界については、いろいろ個性的な人材が集まっているというイメージがあります。そこでお聞きしたいのですが、御社の採用方針として、エイベックスのビジョンに賛同する人を採用しているのか、それとも透明な状態の人も意識して採用されているのでしょうか。

どちらか片方ということはありません。それに同じ音楽業界志望でも、当社を希望する人には共通点のようなものが感じられます。ひとことで言うと他のレコードメーカーは「バンド志向」だけれど、うちは「カラオケ」というような……。

そんな違いがあるんですか(笑)。御社はクリエイティブな職種もあれば、営業も管理系もあるので、マネジメントが大変なんじゃないかと思うのですが。

そういえば髪の毛がピンクでとさか状の社員もいれば、ごく普通の外見の社員もいますね。個性の出し方に対して、うちではとくに制約を設けていないだけで、他の会社とマネジメントのやり方は変わらないと思いますよ。

いま現在、組織の課題として考えられていることにどのようなことがありますか。

ちょっと前までは縦割りが問題で、時代や実態に伴っていないという思いがあったのですが、2年ほど前にいったん組織を壊して、組織横断でも仕事ができるように変更しました。エンタテインメントの流行や文化は、いくら若者が少なくなったとしても、若者の熱量がつくっていく面が大きいと思っています。だから常に社内の人材をいかに活性化させるかが課題です。

5.マーチャンダイジングの可能性はアーティスト周りのすべてにある

私はずっとトップダウンでやってきました。その影響で「上からの指示に従うだけで、自分では何も考えない」、そういう集団になってしまっているのではないかという不安がときどき頭をよぎります。特に若手社員から見ると、中堅社員は攻めの姿勢がないように見えるらしいのですか、どうしたら中堅社員の活性化ができるのでしょうか。

それは私も教えてもらいたいです(笑)。若手と中堅、どちらが正しいかはケースバイケースでしょうが、せっかく裁量を与えているのに成長や仕事の質が伴っていないことはありますよね。

若い人に裁量を与えて任せているのですか。

まだ試行錯誤の最中ですけれど。年齢は若くても、定年間近な考えをする人もいますから。

うちのようにBtoBの会社であれば、営業部門がストイックで強ければ会社は伸びていきます。でも、御社のようにレコード会社の場合は、どうすれば業績を伸ばし続けられるのでしょうか。

音楽は営業すれば売れるものでもありません。これからはアーティストの360度回りにあるものすべての商材化が必要です。ライヴやネットを通じて、そのアーティストに関連するグッズを売るなどのマーチャンダイジングがやっと追いついてきました。販売プラットフォームをもたないと利幅がとれないですが、そこばかりに特化すると、コンテンツをつくらなくなってしまう。われわれの本来の仕事はコンテンツをつくることですからね。

音楽業界は、レコードからCD、ネット配信、定額配信とマネタイズの手法が劇的に変わってきました。

音楽をつくること自体は何も変わっていませんが、環境は激変していますね。

CDが売れないと、アーティスト自身の収入が少なくなります。そうするとコンサートや物販で稼ぐということになるのでしょうか。

作詞や作曲をすればその印税が入りますが、通常CDのロイヤリティなどはレコード会社がアーティストの所属事務所に振り込み、それをアーティストと事務所が分けます。事務所とレコード会社は別々ということが多いのですが、うちはしがらみがないので、所属事務所とレコード会社を一緒にしてきました。それがうちの成長の大きな起爆剤になったと思います。

6.無料配信はライヴへの入り口 変わるマネタイズの手法

新人アーティストが将来有望かどうか、そうした判断はどうやってするのですか。

アーティストの卵を育てている事務所にアーティスト支援金を渡して育成してもらう場合もありますが、やはり賭けですね。最近はSNSなどで多少はマーケットの反応を探れますが、以前は歌を聞き、本人を見て判断するしかなかったですね。

海外では新曲でも無料配信をしている場合もありますね。

音源は無料で配布するから、ライヴに来てほしいということです。海外のアーティストの場合、日本のアーティストと異なり、ライヴもワールドツアーですから規模が大きいわけです。

音源はライヴに招くためのマーケティングツールということですね。

そうです。以前なら良い曲をつくればそれでマネタイズできたけれども、いまはそうはいかない時代ということです。

エンタテインメントの世界での個人消費は今後も増えていくような気がします。

イベントやライヴもコト消費ですからまだまだ余地はありますよ。昨年(2017年)有料の花火大会を開催して大好評でしたが、過去の常識からしたらありえないですよね。

うーん、確かに。今後はどんなビジネスを展開していきたいですか。

ITの進化が速いのでビジネスやマネタイズの形は変わっていくでしょう。そこには大きな可能性が秘められています。でもエンタテインメントの世界では、やはり中心になるのは人、なんですよね。作り方、届け方はいろいろな変化はありますが、根本的には人を磨いていけば、まだまだいろいろなビジネスがついてくると考えています。

ITの影響をものすごく受けてきたのに、すごく人間臭い業界なんですね。意外でした。本日はありがとうございました。

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