株式会社CLUB ANTIQUE 田島慎也

Guest Profile

田島 慎也(たじま・しんや)

1982年3月1日 B型 ●業種:食料品製造業 ●設立:2004年1月 ●資本金:2009年12月期 12億2000万円 /2010年12月期 41億円 /2011年12月期 38億円 ●住所:名古屋市中村区菜名駅4-26-25 メイフィス名駅ビル5階 ●電話:052-564-8200 ●URL:http://www.heart-bread.com/

特集20歳で起業、15坪のパン屋から始めて年商41億円、マクドやスタバと肩を並べる世界的ブランドを目指す

1.回り道人生はしたくない。人に教えられるよりは自分で学びたい

 現在全国に二七店舗を擁し、この三月には上海にも新店舗をオープンした株式会社CLUB ANTIQUE。その総帥である田島慎也は、二〇歳の二〇〇二年七月、愛知県知多郡東浦町に一号店を構えた。たった一五坪のパン屋、開店資金は一〇〇〇万円。うち三〇〇万円はバイトや修行時代に貯めた金を充て、残りは養豚業を営む父親から借りたという。ところが、まもなく販売した「天使のチョコリング」が大当たり、なんと開店わずか一年で親からの借入も返済できるだけの店に成長した。

「妻と僕とパートさんの三名で始めた店でした。なによりパンが好きではありましたが、技術もまだそんなにないし、作りたいものを作ろうとすると原価がかかってしまってまったく採算が合わない。試行錯誤を繰り返すなか、天使のチョコリングを思いついて作ってみたところ、話題になってどんどん売れていったんです」

 それにしても、高校卒業後、専門学校、パン屋で修行を経て、二年後には店をオープンとはいかにも早すぎないか?
「そもそも僕は、回り道人生はしたくないと思ってた。実は、入った高校は進学校で、一年の時、僕は三〇〇人中二五〇位くらい。勉強も好きではなかったから、もうかなうはずはないなと。自分のしたいこと、自分の得意なことでやらないと勝てないなと考えたんです。昔から漠然と飲食の仕事をやりたいなと思っていたし、物作りが好きでした。そこで、残り二年間は、勉強をやめてパンの勉強を始めたんです。小麦粉という形のないものから形ができていく、しかも麺類などと違ってさまざまな形のものが生まれる魅力に引かれました。興味のないことはまったく頭に入らないんですが、興味のあることはどんどん吸収できる。興味のあることを選びとり、自分の道を一発で決められたということが大きいですね。そして、僕は人に教えてもらうより自分で学びたいタイプなんです。一号店開店当初も、それなりに大変だったけど、やったことがすべて身につき、モチベーションはどんどん上がっていきましたね。いまでも、僕は、リスクを背負いながら新しいことにチャレンジしていくのが自分の課題だと考えています」

 天使のチョコリングは二八〇円という値段の安さとネーミングのよさも手伝って、一日一万個を売るメガヒット商品に成長。早くも二〇〇四年に法人化を果たした。次に田島が企画したのは、冷やして食べる「とろなまドーナツ」。こちらも、その新食感とパステル調の美しい色合いが大いに受け、一時は生産が追いつかないほどの人気商品となった。二〇〇九年にはHEART BREAD ANTIQUE銀座本店をオープン。長蛇の列は一ヵ月あまり続いたという。売上高も、二〇〇八年四億五〇〇〇万円(対前年比四〇〇%)、二〇〇九年一二億二〇〇〇万円(対前年比三〇〇%)、二〇一〇年約四一億円。この快進撃、そして顧客の九割以上を占めるという女性のハートをつかむ秘訣はどこにあるのだろう。
田島の答えは「僕は商品企画と空間作りには自信があるんです」と一言。だが、こちらも銀座店のいかにも女性好みに仕上げられたインテリアを眺めながら、つい納得してしまう。

「でももちろん、日本の消費者がいま何を求めているかは、常に考えていますよ。その一番の情報源は、僕にとってはテレビですね。経営の本を読むのは嫌いです。そもそもテレビは大好きで、映像を見ながらいまのトレンドは何なのか常に追い続けています。

 女性の感覚が欲しいですから、女性スタッフの感覚、意見ももちろん生かします。チームでやる仕事も好きなので、スタッフそれぞれの持っているものを最大限に引き出すこと、自分を含めて、その人なりの得意分野を伸ばすことに常に努めています。自分は、経営者というより、プロデューサーとかプランナーという言葉のほうが似合う人間だと思います。商品開発のプランナーだったり、店舗設計のデザイナーだったり。財務だとかに関しては、自信ありますなんて言えない。僕は自分にできないことはあえてやりたくない主義です。苦手は人に任せて、好きなことだけをできる環境を作っていく。それが僕のやり方です」

 とはいえ、「いろんなコンセプトでお店を作るのは得意」な田島だが、「いろいろ作り過ぎて失敗」したこともある。

 「ポジティブなんで積極的にいろんなことに挑戦しつづける。失敗もあるんだけれど、そんな僕にみんなついてきてくれる」と田島は語る。

 いまの田島の通常の一日は(もちろん出張も多いのだが)、昼から出勤し、打ち合わせをこなし、その後は「なるべく人に会わないようにして」、皆が帰ってから会社で一人、新しいメニューを考えているという。しかし、これは現場を離れた三、四年前からのこと。

「店を持ったばかりの頃は、夜九時に寝て夜中一二時に起き、朝の三時からパン作りをしていましたし、五年くらい前まではばりばり現場に出て鼻血が出るくらい働いていましたね。それがあるからいまがあるのかなと思います。でも、そんな当時も今も、楽しくやれてる。常に楽しく。それが社員に伝わり、いい流れができているのではないでしょうか」

 現在は、フランチャイズ方式も導入しており、最終的には、全国一〇〇店舗が目標だと田島は言う。そして日本で一番売れるパン屋にしたいと。

 日本一、そしてアジアで一番のパン屋。三月にはHEART BREAD ANTIQUE上海店(合弁会社で資本金のうち三割を出資)をオープンした。二、三年のうちに台湾、韓国、シンガポールに出店したいと田島は言う。

「大事にしているのは、成功事例をしっかり分析することです。台湾のパン屋で、安くて大きいのがウリの「85℃」というのがあるんですが、そこを徹底的に研究しました。昔は価格はカンで決めていた。いまでは市場調査して原価計算して価格を出しています」と田島は笑う。

「店を始めたころは、ただ安くて美味しいパン屋を目指していました。こういう店にしたいとか、こういう規模にしたいとか、あまり考えていませんでした。自分自身パンが好きだし、自分が思い描く商品を思い通りに作ってお客さんに提供したい。そればかり思っていました。それに、僕はもともと計画性がなくって。計画立てちゃうとそれで満足しそうで。だからただただ少しでも前へという感じです」

 その後、売れている商品がいつか売れなくなってしまうのではないかという危機感から、常に新しいものをとの思いで、ブランドを闇雲に増やした時期もあった。そのプレッシャーは半端ではなかったという。

 一方、ブランドはどれも中途半端になってしまう。売れても売れても儲からないという状況の中で、田島はあらためてきちんとしたブランディングをしないといけないと考えた。さまざまな店を見てまわり、たどりついたのが「単に一個のパンを売るのではなく、パンに思いを込めて販売していきたい」という自身の中にある思いだった。

「パンに僕の思いや伝えたいメッセージを込める。ストーリー性を持たせたブランディングです」

 そして、「マジカルアンティークワールド」というコンセプトを打ち出した。変わらないよさを持ちつつ味わいと価値の上がっていくアンティークの世界観と魔法のように新たな商品を生みだしていきたいという気持ちとが一つになった。

「計画性のない僕も、ようやく夢が語れる段階になって、パンを通してできることは何でもやっていきたいと思っています。国際的なブランドとして定着できる独自性をいかに出せるか。その一方で、いまはスタバやマクドを意識しています。どこにでもあって入りやすく、それでいて僕が最初に始めた郊外のパン屋さんのようなよさを持った世界的なベーカリーブランドにしたいと思っています」

 これ、夢で終わらないかもしれない。田島にとって「休みの日こそ仕事みたいなもの」で、とにかく新しいものを見ては考え、アイデアを練る。また、自宅にはパンに関する本が何千冊と並んでいるという。成功の秘訣は「とにかく勉強です」と田島は言う。そして「読んでいて、いいと思う一言があれば、すぐ行動してそれを生かすことかな」とも。

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