元明治大学ラグビー部 吉田 義人

Guest Profile

吉田 義人(よしだ・よしひと)

1969年秋田県男鹿市生まれ。小学3年でラグビーを始め、中学で東日本優勝、高校で全国制覇。19歳で日本代表入りし、2度のW杯に出場。明治大学ラグビー部主将を務めた4年時には大学選手権で全国制覇。3度の世界選抜に選ばれ、オールブラックスとの対戦で伝説のトライを決める。フランスコロミエに入団し日本人初のプロラグビー選手に。04〜08年に横河電機ラグビー部監督、09〜12年に明治大学ラグビー部監督を歴任。

特集低迷する組織を常に「最強組織」へと導いてきた男の爽快マネジメント

1.名門明大ラグビー部を復活させた5つの言葉

 1990年の早明戦。吉田義人さんのトライが脳裏に焼きついている。巧みなステップワークでわが早稲田のディフェンスをいなしながら、100メートル10秒台の俊足で快走し、左隅に決めた逆転のトライ。当時すでに日本ラグビー界最高のウイングだった吉田義人の真骨頂のようなトライだった。

その吉田さんは実は、マネジメントにおいても傑出している存在だ。現役引退後、2つのラグビーチームを率い、いずれも目覚ましいV字回復を遂げたからだ。

 04年に監督に就任した横河電機は2部リーグの下位が常連のチームだったが、08年にはトップリーグに昇格を果たした。

 続いて09年には母校、明治大学ラグビー部の監督に就任。90年代に大学選手権大会で優勝5回準優勝3回という黄金期を築いた明治大学は、67年間明治を率いた北島忠治監督を96年に亡くしたのち、徐々に転落し、08年には関東大学ラグビー対抗戦6位、24年ぶりに大学選手権出場を逃すという辛酸をなめていた。だが吉田さんが監督に就任した翌年から対抗戦で3位、2位と順位を上げ、4年目の昨シーズンは筑波大、帝京大と同位ながら14年ぶりに1位へと返り咲いたのである。

 この2度のV字回復を成し遂げるには、企業経営にも通じるコツがあるに違いない。吉田流マネジメントを教わるために、吉田さんに会った。

 グビーは後ろにしかパスが出せないので、ボールを持った人間が一番先頭を走る。そこに相手の15人が自分のことをタックルで潰しにくるわけです。味方は見えない。そこで、その人間がどういう思いやプライドや覚悟を持って突っ込んでいくのか、全部曝け出てしまうんですよ。覚悟が足りなかったり、反復練習を疎かにして自信がない奴は、怖気づいてしまう。後ろから背中を見ると、それがわかるんです。そうなるともう仲間の信頼は得られない。つまりラグビーが強いチームは、一人ひとりが自律しているんです」

 吉田さんは「自立」ではなく自らを律する「自律」なんだと強調した。

「私が就任したときの明治大学は残念ながらまったく違っていた。楽なほうに逃げてばかりのぬるま湯に浸かった集団になっていた。私の大学時代は監督が集合をかけたら即座に100人の部員が全速力で走って集合し、一瞬たりとも監督の声を聞き漏らさないよう、隙間をつくらずに円陣を組んだものですが、私が初めてグラウンドに立って「集合!」と声をかけたときには、数人が全速力で走ってくるのみでした。

 このチームに何よりも必要だったのは、ラグビーの技術や戦略ではなく、個人個人の意識変革でした。僕は明大ラグビー部復活の心構えとして、言葉を生徒に伝えました。「礼儀」「真摯」「矜持」「継承」「感動」の5つです。われわれが再び優勝するためになぜこの5つを持つことが必要なのか。それを話すことから始めました」

2.五輪種目の7人制ラグビーを個人の立場で普及させる

 吉田さんが学生に示した5つの言葉は、経営者が社員に示す経営理念に似ている。非常に困難な目標は、同じ理念を共有した集団でなくては到達できないが、その共有の仕方で多くの経営者が苦労する。吉田さんは、上から目線は駄目だと言う。

「僕はすべての選手と同じ目線に立って話をする。学生も僕と同じ大人です。ただ唯一の違いは、彼らがまだ社会経験をあまりしていないこと。そういうスタンスで接すると、相手のことを素直に受け入れられやすい。
 僕の組織論には2・6・2の法則がある。上の2割は、何が何でもやってやるぞという最高のポジティブ人間。6割は上にも下にもどちらにもなびく。下の2割はネガティブになっている。この組織を強くするには、下の2割をポジティブな思考になるように変革に取り込むこと。この人達は、根っからやる気がないのか、やる気はあるが何か理由があって自分が本当にやりたいことができていないか、どちらか。よく話し、それを見極めて、後者ならば環境を改善して引き上げてあげる。本当にやる気が無い人間はチームの空気感が変わっていくことで、自ら辞めていきます。こうなるとこの組織はすごいパワーを発揮するようになる」

 元日本のトップ選手であり、監督という立場の吉田さんが、大学生と同じ目線に立ち、一人ひとりの心に語りかけて、目標達成のために大切な理念を丁寧に共有していく。プライドと覚悟を得た選手は一人ひとりが自律し、仲間同士が信頼し合い、明治大学はわずか4年でトップの座を取り戻した。果たして経営者にこれができるだろうか。

 今年、吉田さんは明治大学の監督を辞した。大きな夢があるからだ。それは2016年のリオデジャネイロ五輪で正式種目になる7人制ラグビーで、日本代表チームがメダルを取るという夢だ。そのためにいま、吉田さんは7人制ラグビーチームをつくるよう企業に呼びかける活動を個人で行なっているという。日本では馴染みのない7人制ラグビーだが、これは日本で再びラグビーが盛り上がる大きなチャンスだと吉田さんは言うのだ。

 「7人制ラグビーはフィールドの大きさは同じで人数が少ないので、15人制に比べて、走るスピードが最も要求される。僕のように小さくても足の速い選手が活躍できる。15人制ではプロリーグがある南半球のニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ、北半球のUK4ヵ国とフランス、この8強に勝利するというのはとてつもなく大変なことですが、7人制に合った才能を集めて準備すればメダルも不可能ではない。陸上競技の選手が転向したほうが向いているかもしれません。

 もし日本代表がリオ五輪で活躍したら、日本中がテレビで7人制ラグビーを見るでしょう。7人制は試合時間が14分と短くて、展開も早いので見ていて面白い。子供たちはラグビー選手に憧れ、親御さんたちは、大男同士がぶち当たるスポーツというラグビーへの認識が変わり、ラグビーを始める子どもが増えるかもしれない。7人制は日本でラグビーが再び人気を取り戻す大チャンスなんです。

 そのための普及活動がいまの僕の使命です。これから、未来社会に起用する人財育成を根幹にオリピアンをともに育てられるように、7人制の専門チームを発足してほしいと、複数の企業にオファーをして回っている。反響は上々です」

 築き上げた立場も名誉も簡単に手放し、次の夢を実現させるために全力を尽くす。その意志の強さと覚悟はすべてラグビーから教わったものだろう。3年後、リオのピッチで縦横無尽に走り回る吉田ジャパンの勇姿が見たい。

TO PAGE TOP