アパグループ 元谷 外志雄

Guest Profile

元谷 外志雄(もとや・としお)

1943年石川県小松市生まれ。小松信用金庫(現・北陸信用金庫)を経て、注文住宅販売会社「信金開発株式会社」(現・アパ株式会社)を設立。現在、マンションやホテル事業などを中核とするアパグループを構成する16の企業の代表取締役。自ら編集長を務め、毎月6万部発行する月刊誌「Apple Town」に20年に亘って社会時評エッセイを執筆。「誇れる祖国『日本』」の再興を目指す「勝兵塾」塾長。またグループ主催の「日本を語るワインの会」には各国大使や国会議員・大学教授など多数が参加している。

特集家族経営が染み渡った企業こそが本当の強さを発揮する

1.創業以来、一人のリストラも一度の赤字もない

 僕がアパグループ代表の元谷外志雄さんと出会ったのは、元谷代表のご次男の元谷拓さん(アパホテル専務)と友人になったのがきっかけだ。7年前のことだ。アパグループが1990年から発行している月刊誌「Apple Town」のなかで、さまざまな業界で時代をリードする人物を紹介する〝達人コーナー〟に、「人脈の達人」として僕に登場してほしいというオファーを拓さんからいただいた。

 その縁で僕と拓さんはパーティに呼んだり呼ばれたりする仲になり、そのうち元谷代表の西麻布のご自宅で月1回開催されている「日本を語るワインの会」に呼んでいただき、代表とホテル社長である芙美子夫人にお会いしたのだ。

 いまや全国で200を超えるホテルを運営し、その半分以上を所有するアパグループを一代で築いた元谷家とお付き合いして感じるのは、大実業家のイメージとは違う、朗らかでとても感じの良い家族関係だ。そこには大きな家族愛があって、それが周囲の人たちにも開けている感じがする。

 その良さを僕はアパホテルを利用するときに感じる。従業員の方たちの生き生きとした働きぶり、そして笑顔。それがアパの企業としての強さの根源のように思うのだ。そこで僕は、元谷代表に、家族愛と社員愛の大切さについて聞きに行った。

「日本は天皇を中心とする家族国家だと私は考えています。ですから、日本の企業は家族経営であるべきです。私は社員に対し、どんなに大きくなってもアパは家族経営なんだと言っている。つまりアパは社員とその家族も含めて、大家族なのです。

 当社は創業からこれまで一人のリストラをしたことも、一度の赤字を出したこともありません。それは売上利益の最大化を求めるのではなく、家族の幸せ、家族の生活を優先させた経営をしているからです。アメリカ的経営では少し景気が思わしくないぐらいでリストラやレイオフを簡単にしますが、一緒に頑張ってきた家族にそんなことができますか。私はできません。それよりも当社は〝良い会社〟を目指している。それは需要を創造して雇用を創出し、適正利益を上げ、納税義務を果たすことはもちろん、社員はリストラの心配を持たず、お客様と自分と家族と会社の幸せを考えて一生懸命生きがいをもって働く会社です」

 企業を成長させるために、売上げと利益の最大化を追求していくのが多くの経営者の考えだ。しかしそのために無理な経営をして、社員が低賃金で長時間労働を強いられたり、リストラの不安を抱えていたりしたら、お客のために全力を注げない。高度成長期の日本企業がみなそうであったように、雇用の安心があってこそ、社員が会社を信頼し、能力を最大に発揮し、結果としてアパという企業が成長してきたのだろう。

 元谷代表は石川県で創業したばかりの73年に北陸でいち早く完全週休二日制を導入し、当初は毎月一泊の社員旅行をしていたという。いまでも頻繁に食事会や研修旅行をしたり、頑張っている社員を選抜して海外旅行を行ない、そのすべてに代表は参加している。

「昔の日本の家族のように、家族は仲良くあるべきだし、社員も家族のように仲良くあるべきだと思うんですよ。親父は戦時中に従業員100人ぐらいの木工製作所を経営していて、軍需工場として船の舵輪などを作っていたんです。うちの家には職人さんが寝泊まりしていたし、おふくろが配給でまかないを作ってみんなの弁当を詰めたりしていた。それが私の家族経営の原点ですよね。

 戦後は民需転換して桐箪笥や桐箱なんかを作っていましたが、無理がたたって私が小学校に入学した頃から患っていた親父が中学二年のときに亡くなり、長男の私が一家の主になった。そこで私には金を稼ぐ責任が生まれて、自転車預かり業を始めたんです。これが結構儲かって、家の前だけでは入りきれなくなって路上に縄を張って商売をしていたらヤクザ者に『道路で勝手に商売するな』と因縁をつけられてね。『俺らも生きていかないかんねん』って啖呵切って撃退したこともあります」

2.戦略で勝利できていれば一度負けても取り返せる

 アパグループはいま、急速な拡大の最中で買収も積極的に行なっている。そうなると、企業文化の違いが社風を壊すというのはM&Aではよくある話だが、それでも家族経営は成り立つのだろうか。

「当社には派閥がない。うちの社員は新卒社員もいれば中途採用もいるし、買収したホテルの従業員は希望する人全員に来てもらいますが、みな平等。いっさい差をつけてない。むしろ買収された会社の人のほうが出世が早いですね。そういうホテルには優秀でも上がつかえて出世できないケースが多いんですよ。でもうちに来るとホテルがどんどん増えているので、昇進の道がいくらでも広がっている。長年副支配人だった人が、うちに来てすぐ支配人になってたくさん活躍しています」

 社員になればみな家族だから差別はしない。だからすぐに実力を如何なく発揮できるのだ。同時にプロパーの若手には「支配人道」というマニュアルブックを使って研修を行ない、元谷代表もそこに講師として参加して理念を伝える。最速で新卒入社2年3ヵ月で支配人になった人もいるそうだ。すごい。

 僕がもう一つ感心するのは、元谷家の家族がみな、経営の中心にいて活躍されていることだ。帽子姿でおなじみの元谷芙美子アパホテル社長はいうまでもないが、長男の一志さんは昨年アパグループ社長に就任し、10年からの5ヵ年で東京都心に50ホテル、30マンションを用地取得して事業化する計画「頂上戦略」を推進。次男の拓さんは「Apple Town」以外にもアパホテルの広告宣伝を戦略的に展開し、イベントの企画運営やセミナー講演など八面六臂の大活躍である。

 「生まれながらにして社長の子として育てましたからね。幼少からオーナーの心構えを説いていましたし、経営方針とか物件とか社員の話が飛び交う家族の会話も聞かせていたし、物件を見に行くときに連れていったりもした。甘やかさなかったですよ。泣いて要求を満たそうとすることなど一切許さなかった。泣いても得をしないから泣かないんです。うちの次男は長男に自転車で足を轢かれて骨が折れても泣かなかったですから。親が子どもに合わせてはいけない。親の生活に子供が合わせろと」

 元谷代表は84年に東京進出し、その後アーク森ビルに本社を構えた。しかし、バブル崩壊で本社を再び金沢に撤退。01年に今度は赤坂に東京本社を作り、大成功を収めた。その不屈の強さはどこにあるのか。

「私は戦略勝利を目指せと言っている。戦略の敗北を戦術では取り返せない。だが戦略的に勝利していれば、戦術が失敗しても取り戻せるし、大局的には必ずいい方向にいく。バブル崩壊のときも、いったん早めに撤退したことが究極勝利への第一歩となった。それが戦略だった。経営者は戦術にとらわれず、戦略的に絶えず勝利するようによく先見力、洞察力を磨き、方針を立てて社員を鼓舞することですよ」

 アパという大家族を率いているからこその強さ。その理由がよくわかった。

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