成長の秘策ゴチになります!

HOST

株式会社ベネフィット・ワン
代表取締役社長

白石 徳生氏

株式会社サマンサタバサジャパンリミテッド
代表取締役会長兼社長

寺田 和正氏

GUEST

Guest Profile

寺田和正(てらだ・かずまさ)

1965年広島県生まれ。87年カナダに留学。88年3月、駒沢大学経営学部を卒業し、同年4月商社に入社。91年11月に独立し、海外ブランドの輸入・卸業を始める。94年3月、SPA(製造小売)に転換し、バッグブランド「Samantha Thavasa」を立ち上げ、株式会社サマンサタバサジャパンリミテッド代表取締役社長に就任。2005年12月、東京証券取引所マザーズに上場。08年3月アパレル事業に参入。「Samantha Thavasa」をはじめとするバッグ、ジュエリー、小物、スイーツ、ゴルフ14ブランドと、アパレル5ブランドなどを、国内外に約420店舗展開。国内4社、海外5社の代表取締役社長等を兼任。

第30回長期の成長を続けるには チェンジ、チャレンジが重要

1.能力ある先輩が起業できない いまこそチャンスだ

会社を設立した経緯から教えていただけますか。

会社を作ろうと思ったのが中学2年生の冬です。

さすがに、それは早いですね。

大学生の時にはカナダに留学し、現地の毛皮や革ジャンを仕入れて日本で売るビジネスを考えていました。そのまま一気に独立しようとも考えたのですが、一回はサラリーマンをやってみようと思い、若輩でも仕事を任せてもらえそうな中堅商社に就職しました。「3年後には独立して社長になって自分のビジネスを始めるんだ」とマインドをセットしていましたから、会社経営の難しさがいろいろと見えてきました。同期の男性たちは、仕事を任されやりがいのある会社だと思って就職したはずなのに、大手商社と比べて「ボーナスが安い」と文句を言う。給料の多い大手に勤めている同郷の友人と飲むと、「仕事を任され、ヨーロッパにも出張できていいな」とうらやましがられる。「やりがいがあっても給料が低ければ文句を言う」、「有名な会社で自慢できても、やりがいがなかったら文句を言う」。結局、人は文句を言うんだなと気づきました。それで自分で会社を作るなら、「やりがい」「プライド」「よい給料」、この3つを満たす会社じゃなきゃだめだと思いました。

それはいつごろのことですか?バブルの終わり頃ですか。

2、3期上の先輩がマンションを買ってバブルを謳歌していたころです。ところがバブルが弾けてしまうと、独立するはずだった先輩たちが起業できないわけですよ、マンションのローンがあるから。能力のある人たちが足かせがあって起業できないんだったら、「いまこそチャンスだ」と会社を作ったんです。

それがサマンサタバサですか?

いや、その前に学生時代の友人と同僚を誘って、バッグの輸入代理店を4人で始めたんです。日本ではまだ知られていないブランドを、自分たちの手でブランドに育てていこうと。ニューヨークで5番街やパークアベニュー、マディソン街などを歩き回り、「これだ!」というブランドを見つけました。テレビでそのブランドを仕掛けようと思って、ファッション関係のランキング番組にコンタクトを取ったところ、いきなり一位ですよ。「次に来るのはこれだ」と紹介され、翌日からはお店に行列ができました。

2. “セレブ”ブームを巻き起こし アメリカ上陸を果たす

ばっちり、当たったわけですね。

すごかったですね。でも、その日を境に、私のことを「兄弟」とまで呼んでくれていたバッグ会社の社長と連絡が取れなくなり、ある日FAXが来たと思ったら「次回からの取り扱い商社が決まりました。今までありがとう」でした(笑)。

生々しいお話ですね(笑)。

こちらも「はいそうですか」というわけにはいかず、その日のうちにアメリカに飛びました。でも、大手商社から正式に大量に買うという依頼があればそっちが強いに決まってます。わが子のつもりで日本用にアレンジして育てたのに、結局、「他人のブランドじゃダメなんだ」ということをその一件で痛感しました。それで思ったのが、ここまで育てられたのだから、自分でも日本発・海外で売れるブランドを作れるんじゃないかと。それで立ち上げたのが、サマンサタバサなんです。

サマンサタバサがメジャーになるきっかけ、みたいなものはあったんですか。

ヒルトン姉妹(パリス、ニッキー)の起用です。彼女たちはニューヨークのショールームまで買い物に来てくれていました。スーパーモデルの次に来る流行の発信源は、憧れもあるけど共感もできるヒルトン姉妹のような女性だと思い、彼女たちを〝セレブ〟と名付け〝セレブ〟ブームを仕掛けようと考えました。それでアメリカに飛んでご両親と彼女に会って説得し、宣伝のために来日してもらえることになりました。

当時、二人はまだ日本ではあまり知られていませんでしたよね。

アメリカでもそんなに有名ではなかったですね。私はブランドPRのお手伝いをお願いする時は必ず夢を聞くんです。ヒルトン姉妹の場合は「歌手やモデル、女優をやりたい、有名になりたい」と言っていました。私は「その夢を一緒に叶えましょう、お手伝いをしますよ」とお話したんです。まず日本で彼女たち二人を「時の人」にし、そのブームをアメリカに持っていこうと提案しました。ヒルトン姉妹が多くの雑誌の表紙を飾り、テレビに出演したのをきっかけに、サマンサタバサに火がつきました。私の名や会社が海外でも知られるようになり、ヴィクトリア・ベッカムやビヨンセともコラボできるようになりました。

3.半年部長、半年課長を新設 夢を保てる組織をつくる

会社を長く発展させるために一番大事にされているのは、どんなことですか?

〝チェンジ・チャレンジ〟ですね。ここ数年、それがちょっと足りなかったと反省しておりまして、今年は変えていく年にしようと。

楽しみですね。ただ、何ごともトップダウンで決めていると、社員が何でも社長に頼るようになる。そこに限界を感じることはありませんか。

ありますよ。だからうちも、上場したときに(2005年)組織を作ろうとしました。でもうまくいかず、リーマンショックのときにトップダウンに戻し、その後も3回くらい試行錯誤しています。ちょうどいまは、ニトリさんのように全ての部署を私が見る文鎮型組織を目指しているところです。

なるほど。

今年(17年)から半年課長や半年部長といった役職を作り、入社数年でもやる気のある人には、一時的に課長や部長の待遇や権限を与えていきます。社員の半分が本気になれば会社の流れが変わります。もっと夢の持てる組織に変えていくつもりです。

改革の結果はぜひ教えてください。ありがとうございました。

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