伊藤元重が見る 経営の視点

第8回デフレ時代の常識を打ち破れ

1.失業率は4%割れ!?オリンピック効果で進む人手不足、労働力不足

 経済が変化するスピードは想像以上に速い。少し前の常識で判断すると大きな過ちを犯すことになる。
 デフレの常識というのがそうだ。日本では20年近くデフレ的状態が続いた。物価や賃金は下がるのが当然、不動産価格や株価は少しくらい上がってもまた必ず下がる、労働者は簡単に見つかる等々、デフレ時代の常識が、いまだに多くの経営者の思考を支配している。

 しかし、足下で起きていることを冷静に見たら、そうした思考を根本から見直す必要があるということがわかるはずだ。物価は確実に上昇を始めている。価格が上がっているのはガソリンや電気代だけではない。食料品の価格からアルバイトの賃金まで、じわじわと上昇している。

 デフレ時代には安い労働力がいくらでも手に入った。賃金コストは上昇しないもの、というのが常識だった。しかし、日本の失業率はいまや4%を切るような勢いだし、有効求人倍率は1に限りなく近づいている。数年前には有効求人倍率は0・5前後の水準であることを考えれば、隔世の感がある。

 失業率が4%を切るということは、労働市場が完全雇用に近い状態になっていることを意味する。これ以上に失業率が下がっていくようなことがあれば、労働不足が顕著になる分野が増えてくるだろう。現在でも、建築土木関係は、東北復興で人手不足の状況である。これにオリンピック効果が出てきたら、人手不足はさらに深刻になるだろう。

 経済にはいろいろな不確定要因があるので、今後、日本経済が順調な回復を続けるかどうかはまだわからない。あまり予断を持たないほうがよいだろう。ただ、すでに経済がデフレから次のステージに移りつつあることは明らかであり、そうした変化に対応することが求められるのだ。

2.経済は穏やかなインフレへ安売りから価格引き上げへのシフトチェンジ

 ある大手外食産業の経営者のコメントで忘れられないものがある。それは、「価格を下げるのは比較的簡単だが、価格を上げるのは難しい」というものだ。牛丼の安売り競争のように、タイミングよく価格を下げてやれば、一気に客を増やすことができる。それで売上げを増やすこともあるだろう。

 デフレの時代には、多くの企業が価格競争でしのぎを削ってきた。それで成功して成長した企業もあるし、思うような成果を上げられなかった企業もある。価格の引き下げは万能ではないが、わかりやすい手法である。

 しかし、経済全体がデフレから穏やかなインフレに移りつつある現在、価格を下げるという手法が取りにくくなってきている。電力料金や食料価格の上昇でコストアップが続いているなかでは、価格をさらに下げることは困難だろう。

 だからといって、価格を上げることも簡単ではない。消費者は、同じ商品で同じサービスなのに価格だけ上げるといわれたら、反発するだろう。コストが高くなっているからだと説明しても、納得するものでもない。安易に価格を引き上げれば、大幅な売上げ縮小という事態になることもある。

 そこで、どうやって価格を上げていくのかという、その手法が重要となる。結論からいえば、消費者が納得のいくような商品やサービスの改良を行ない、それで価格を引き上げていくことが必要となる。経済全体では価格は上昇基調に向かっているのだから、価格引き上げが問題ではない。重要なことは、消費者が納得のいく価格引き上げをすることである。

 具体的な例を挙げてみよう。セブン&アイ・ホールディングスやイオンなどの大手流通グループは、プライベート(ストア)ブランドに力を入れている。それも安い価格の商品ではなく、品質などにこだわった高価格の商品を積極的に展開しているのだ。セブン&アイ・ホールディングスの『セブンゴールド 金の食パン』などは、高価格であるにもかかわらず大きな売上げをあげている商品として注目されている。

 プライベートブランドは、元来は、低価格商品を想定したものが多かった。メーカーのナショナルブランドの商品と同じ品質だが、それをもっと低価格で販売するというものだ。メーカーのマージンがないので仕入れコストは安い。だから、プライベートブランドの粗利(小売りマージン)は大きい。小売店にとっては、リスクをとっても手がけることに価値があるものだった。

 最近の興味深い現象は、小売り各社が高価格のプライベートブランドの商品を積極的に手がけるようになってきたことだ。小売店のブランド価値が高くなって、消費者が小売りブランドにそれなりの信頼を置くようになったということがあるだろう。また、長引くデフレのなかで、メーカーのナショナルブランドの商品が安売りにさらされ、メーカーブランドの価値が下がってしまったということもあるだろう。

 いずれにしろ、プライベートブランドの多くの商品は、消費者にとっては、初めて触れる新商品だ。その品質が高いことさえ納得できれば、多少高い価格設定がされていても、抵抗なく受け入れることができる。小売業にとっても、商品の価格を引き上げるための絶好の手段となる。

 新しい商品を導入して価格を引き上げていくというのは、価格引き上げの基本ともいえる。外食産業では、既存のメニューで価格を上げるのは難しい。そこで新たなメニュー、あるいは新業態の店を出すことで、客単価を引き上げていくという対応がとられることになる。

 価格上昇を実行するための手法として、商品の機能を高めるというものもある。食品などでは、こうした手法がよく使われる。たとえば同じヨーグルトでも、微細なカプセルに入っていて途中で溶けないで腸まで確実に届くという機能をうたった商品は、それなりの高い価格で受け入れられる。

 健康によい飲料というのも、機能を強化した消費財である。旧来の商品と同じような味の飲料でも、脂肪を吸収するというような効能がうたってあれば、その効果がいかほどかはわからなくても、ある程度の高い価格でも受け入れられる。健康という機能は、食品の分野では重要な価格上昇の手段となるのだ。

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