伊藤元重が見る 経営の視点

第35回変化のスピードに遅れるな

1.ITの巨人が業界殴り込みトヨタ社長の不安

トヨタ自動車の決算発表が行なわれた。史上最高の利益である。それにも関わらず、社長の会見はトヨタの直面する課題の難しさへの警戒感を隠さないものだった。

あるテレビ局の報道の中で取り上げられた、豊田章男社長のコメントが印象的だった。「経営トップの感じる変化のスピードと、社員の人々が感じるスピードに微妙なギャップがある」というような発言である。だから、変化への対応のスピードを上げて行くのはトップの役割であるというような発言もあった。

言おうとすることはよくわかる。トヨタの強さは、現場の力である。カイゼンなどを通じて、現場は常時変化に対応している。それが最終的にトヨタという会社の強さになっているのだ。ただ、自動車産業を巡る環境が大きく変化する中で、そうした現場の変化の方向とスピードで大丈夫なのか。経営トップからみるとそこが不安になるということだろう。

確かに、自動車業界の変化のスピードは速い。環境問題への対応で電気自動車への切り替えが進もうとしているが、お隣の中国で起きている動きをみると、日本ではその動きが10年は遅れているのではないかと思えてくる。中国がやっていることが良いとは言わないが、こうした時代の変化を利用して自国の自動車産業を盛り上げようという中国政府の意図は明らかだ。

自動車産業を変えようとするのは、環境問題だけではない。コネクテッドカーの展開である。米国でいえばGoog leやアップル、中国ではアリババやテンセントなどのITの巨人が、大挙して自動車産業に殴り込みをかけてきている。バッテリーの開発も含めて、自動車産業の主導権が旧来の自動車メーカーからエレクトロニクスや情報産業に移ってしまうかもしれない。

企業のトップで世界の動向を見ている立場の人は、そうした変化のスピードに危機感を持つだろう。ただ、いくら危機感を持っても、現場はなかなか期待通りのスピードで動かない。それどころか、トヨタのような成功体験の意識が強い企業では、現場がこれまでのやり方に自信を持っている。だからこそ、その変化の方向もスピードも、大きく変わる世の中の現実と食い違うことにもなりかねない。

2.グローバルプレイヤーへ武田薬品の挑戦

武田薬品工業が、アイルランドの薬品メーカーのシャイアーを7兆円近い規模で買収すると発表した。日本企業による海外企業の買収としては、過去最高の規模である。この買収については賛否両論あるようだが、武田薬品が行なった投資はこの業界の世界の流れとしては、特に珍しいことではない。

医薬品の世界では、新薬の開発の投資規模が大きくなる一方のようだ。それに加えて、ゲノム医療など、新しい技術への対応などを求められている。こうした流れに対応するため、海外の主力企業はM&Aを繰り返し、その規模をますます大きくしている。投資の資金基盤を確保すること、そしてそれ以上に重要なことは、グローバル市場でのシェアを確保することで投資資金の回収を確実にすることだ。技術の先進性も含めて、医薬品産業はローカルな産業ではなく、グローバルなプレイヤーとなることを求められる。

今回の投資の前には、武田薬品の売上げの世界ランキングは20位前後であった。日本の他の医薬品メーカーの売上げはそれ以下である。売上げ規模が大きければ良いというものでもないかもしれないが、規模で見れば海外の主力企業に大きく離されている。今回のこの大合併の後でも、武田薬品の売上げは10位前後にしかならないという。

医薬品関係の専門家と話すと、M&Aなどで遅れている日本の現状を懸念する人は少なくない。武田薬品のM&A案件が良かったかどうは別として、規模拡大を進める海外の動きに取り残されるようでは、日本の医薬品産業の未来は非常に不安である。ある外資系メーカーの人が、「日本の医薬品メーカーは大規模なM&Aをやれないだろう」と言っていたことが印象に残っている。

なぜ日本のメーカーは大規模なM&Aができないのだろうか。おそらく、多くの企業のトップが社員から上がってきた経営者であることと関係があるのではないか。一生現場でコツコツと仕事に取り組んできた人に、企業の存亡に関わるような大きな投資をすることができるだろうか。

武田薬品の場合には、投資の決断をしたトップが海外の企業からスカウトされた経営者である。会社の現場の事情ではなく、会社の将来の大きな方向性を考えた投資判断をしたということだろう。その投資のリスクは小さくないだろうが、投資しないまま現状を維持することによるリスクもよく認識していたのだろう。

3.積極的な投資こそがビジネスチャンスを広げる

サラリーマン社会である日本の企業が大胆な投資に踏み切ることは難しい。ただ、そうした中で大胆な投資によって変化に対応する企業がないわけではない。10兆円の投資ファンドを設立させたソフトバンクは言うまでもないが、ニトリやユニクロ(ファーストリテイリング)などオーナー経営者の企業は積極的な投資が目立つ。米国の投資家とのやりとりが気になるが、ゼロックスを吸収する動きに出た富士フイルムも、巨額の投資の決断をした。

バブル崩壊からの長引く経済低迷の中で、日本企業はずっと守りの姿勢を強くしてきた。しかし、ここにきて積極的な投資をしていかない限り、生き残ることが難しいと感じている経営者は増えているはずだ。技術もマーケットも大きく変わっているなかでは、投資こそがビジネスチャンスを広げる切り札となるからだ。

このことは大企業だけの問題ではない。中小中堅企業にとっても、時代の変化を先取りするような投資をどのように効果的に行なっていくのかが問われている。幸い、金融緩和政策などもあって、資金調達コストは歴史始まって以来の低い水準である。この有利な環境を利用して何ができるか、そして何をしなくてはいけないのか、ぜひ考えて欲しい。

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