元気企業の原点を訪ねて ほんまのこと教えてください

HOST

Future One株式会社
代表取締役社長

櫻田 浩氏

株式会社カテックス
代表取締役社長

加藤 巳千彦氏

GUEST

Guest Profile

加藤巳千彦(かとう・みちひこ)

1962年愛知県生まれ。青山学院大学卒業。85年三ツ星ベルト株式会社に入社。89年加藤徳商事(現在の株式会社カテックス)に入社。90年英国現地法人(GKK PLASTICS)に出向。95年ベトナムにて現地法人を立ち上げ、96年に帰国後、取締役工業用品事業部長を経て、2000年代表取締役社長に就任。

第25回カテックスフィロソフィーを企業文化に 「徳のある経営」を目指す

1.大学時代は自転車で帰省 箱根駅伝ルートで1泊2日

加藤社長には、いつも大変お世話になっているわけですが、せっかく名古屋の本社にうかがったものですから、プライベートのお話も、思い切って聞かせていただこうと思います。名古屋ご出身とのことですが、どんな少年時代を過ごされたのでしょうか。

高校卒業まで名古屋にいました。実家は上前津にあって、幼稚園や小学校の頃は、祖父と一緒に近くの大須の映画館によく行っていました。

学生時代、熱中されていたことはありますか。

中学から大学までは、自転
車にはまっていましたね。ツール・
ド・フランスで走っているような、競技用のロードレーサータイプです。小遣いをためては自分でパーツを買ってきて、カスタマイズしていました。同級生に自転車好きが何人かいて、京都や奈良までツーリングに行ったこともあります。大学のときには、箱根駅伝と同じ道を通って、東京から名古屋まで自転車で帰ったこともあります。夏場は野宿しながらの2日がかりでした。

それはすごいですね。そういえば、加藤社長は青山学院大学ご出身ですね。

ともかく東京の大学に行きたかったんですよ。子どものとき、テレビで中村雅俊さん主演の『俺たちの旅』というドラマを見て、東京の学生生活に憧れたんです。でも、現実はすごいギャップがありました。

キャンパスライフはどうでしたか。私は高校まで青山に通っていたので、おしゃれな青学にすごく憧れていたのですが。

お金がないので、表参道が近くにあっても、そんなに遊べませんでしたし。大学のそばの青学会館で、講義の合間によくバイトしていましたね。でも、私が在籍していたときは4年間まるまる青山キャンパスで学べたので、ラッキーでした。すぐ下の代からは、1~2年は、神奈川県の厚木キャンパスまで通学しないといけなくなりましたから。

2.新人時代はバブル真っ盛り 輸出業務で連日の深夜残業

大学卒業後、神戸の三ツ星ベルトに就職されました。当時はバブル最盛期で、学生は超売り手市場だったと思うのですが、将来、御社を継ぐことを意識されていたからでしょうか。

そうですね。銀行などにも企業訪問していたのですが、三ツ星は当社の主要取引先で、父から「修行をして来い」と言われました。

三ツ星さんでのお仕事は、いかがでしたか。

すごく忙しかったですよ。世はバブルで浮かれている人たちも多かったのに、私は遊んでいる暇がありませんでした。最初の配属先は生産部で、輸出業務を担当しました。営業が海外から受注した製品を工場に作ってもらい、それを輸出する手続きをするんですが、製品仕様の指示、納品管理、輸出倉庫や船便、船荷証券の手配といった、さまざまな仕事をこなさなければなりません。海外向け製品は、工業規格が日本と違うし、ゴムの配合も変わりますから、対応が難しいんです。パソコンはまだ普及しておらず、書類は手書き。しかも輸出関連の書類は当然、英文でした。

バブル景気で、メーカーはどこもフル操業という時代でしたよね。

生産ラインは奪い合いのような状態で、工場に電話しても「できません」と、即座に断られたこともよくありました。昼間は営業と工場との板ばさみになって、交渉に忙殺され、山のような書類を処理するのは夕方になってから。残業が深夜まで続くことも多く、寮に帰っても風呂の入浴時間が終わっており、仕方なく近くの銭湯に行くこともありました。

大変でしたね。でも、新人のときから国際派のビジネスマンとしてご活躍だったわけですね。その後は、どんなお仕事を担当されたのですか。

生産部には3年いて、それから広島に転勤になって、2年ほど営業なども経験しました。広島や山口にある自動車・農機具関連メーカーや地域の代理店などが得意先でした。

広島勤務の後、御社に入社されました。どんなきっかけだったのでしょう。

実は、海外赴任が決まっていたんです。ところが就労ビザの申請をした矢先、劇症肝炎になってしまい、1ヵ月間の入院を余儀なくされました。三ツ星に迷惑をかけるのも悪いので、退職して名古屋に帰り、療養していました。

3.英国5年に続きベトナムへ 帰国後は会社の未来に危機感

せっかく海外に行くチャンスだったのに、残念でしたね。

ええ。ところが、それまで当社には海外拠点がなかったのですが、入社してすぐの89年に英国で大手OAメーカーの関連事業を行なうために、取引先であったプラスチックス射出成形メーカーと大手商社と弊社で、GKKという合弁会社を立ち上げ、プラスチック射出成形工場を稼動させることになりました。そこに私が出向することになったんです。

海外とは、深いご縁があったんですね。英国では、どんなご経験をされたのですか。

GKKの工場は、ウェールズの北部、大手OAメーカーの工場近くにあり、同社向けのプリンタやタイプライターのハウジング、電子レンジの部品などを生産していました。しかし、経済の見通しが甘かったんですね。異動して間もなくベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一しました。ドイツ経済が急速に悪化し、欧州全体が深刻な不況に陥りました。そのあおりで、大手OAメーカーが打撃を受け、GKKも受注が大幅に減り、91年にはリストラをせざるを得なくなりました。それがトラウマになって、「経営の失敗で、二度と従業員を苦しめてはなるまい」と心に誓ったんです。

つらいご経験もされたのですね。英国には、いつまでいらしたのですか。

英国には5年駐在しました。

その後、今度はベトナムに赴任されたとうかがいましたが。

そうなんです。当社は94年にホーチミンにゴム工場を立ち上げる計画があり、私が日本に帰国するやいなや、父から「ベトナムに行け」と命じられました。ベトナムには1年半ほどいて、工場を軌道に乗せてから、96年に日本に戻りました。

帰国されてからは、どんなお仕事を?

工業用品事業部長に就任しました。本社に戻って気づいたのですが、当時、図面を読めない営業マンがかなりいました。生産にかかわる仕事はメーカーに丸投げしていたんですね。私は、ずっとモノ作りに近いところで仕事をしていましたから、先行きに危機感を抱きました。昔なら情報提供や与信管理だけでも商社としての存在意義があったかもしれませんが、それだけならいずれ中抜きされてしまう、専門商社ならではの機能を磨かないと生き残れないと考えたんです。そこで、品質管理の国際規格である「ISO9000」の取得に取り組みました。社員の意識を変えようとしたんですね。

ほかにも、いろいろな取り組みをされたそうですね。

今でも続けていますが、「カテックス塾」という社内講習会を開講しました。週1回、18時過ぎから1時間ほど、ゴムやプラスチックの物性、金型の構造、図面の見方、QCといったことを学びます。メーカーの人を招いて、新製品の勉強会をすることもあります。

自社で取扱う商品の知識が深まると、取引先への説得力も高まりますよね。新しい取り組みに対して、お父さまやまわりの役員の方たちの反応はどうでしたか。

古手の幹部たちは、「若造が何いってやがる」と、なかなかいうことを聞いてくれませんでした。でも辛抱強く、少しずつ経営体制を変えていきました。父にもいろいろ進言したんですが、2000年に父は亡くなってしまったので、一緒に仕事をする機会があまりありませんでした。

4.三代目のプレッシャーを乗り越え 「小さくても光る会社」へ

お父さまの後を急に継がれることになり、どのような経営方針を打ち出されたのですか。

私は三代目です。初代はゴムの卸業で事業の基盤を作り、二代目の父は高度成長期に建設部門に参入して事業を拡大しました。私も何か特色を出さなければというプレッシャーを感じるなか、私自身、海外経験が長かったので、グローバルな事業展開に力を入れようと考えました。現在、海外拠点は11カ所あります。

御社の具体的な事業の方向性を教えていただけますか。

当社のモノ作りの拠点は、国内外にグローバル化したのですが、部品だけでなく、自動化・省力化システムといった付加価値の高い商品の取扱いを増やしたいですね。建設関連では、環境にやさしい工法や建材を取り入れていきます。今後は産業構造が変化し、商社も売上高を追求するのが難しくなるでしょう。そこで、利益率を重視した「小さくても光る会社」を目指しています。

経営哲学として「カテックスフィロソフィー」を掲げられているとうかがいました。

経営哲学を社員一人ひとりに浸透させ、企業文化として定着させるには、明文化が必要だと考え、08年に制定しました。ひと口でいえば、「徳のある経営」を目標としています。「人として正しい道を貫いていれば、利益は自ずとついてくる」という考え方ですね。

徳のある経営とは、とても新鮮に感じました。どのようにして、考えつかれたのですか。

私の人生の師である、稲盛和夫さんのお考えから、学んだことです。経営者としてどうあるべきか悩んでいるとき、出合ったのが稲盛さんのご著書でした。それがきっかけで00年に、稲盛さん主催の経営者向けの私塾「盛和塾」に入りました。

経済界には、盛和塾のメンバーの方がとても多いですよね。徳のある経営を実現するために、どのような取り組みをされていますか。

カテックスフィロソフィーは、社員手帳に記載し、毎日全社員に読みあげてもらっています。海外のグループ会社も一緒です。それから、カテックスフィロソフィーについての論文(400字原稿用紙5~10枚)も年1回、社員から募集しています。6~7月に提出してもらい、お盆休みに私がすべて採点して、5~6人を表彰します。強制ではないのですが、人事評価ポイントに加算されるので、160~170人の応募があります。文章を書くと、自分の考えがまとまるので、効果は大きいようですね。

経営者の一人として、とても勉強になりました。本日はご多用のところ、貴重なお話を有難うございました。

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