株式会社ビビット・ワークス 東村奈保

Guest Profile

東村 奈保(ひがしむら・なお)

大学を卒業後、OL生活を経て、結婚、専業主婦となる。その後、派遣社員・契約社員として仕事を再開し3年後に起業。2009年に株式会社ビビッド・ワークス、13年にはNPO法人ソーシェアを立ち上げる。

特集企業&NPO法人の立ち上げで社会の中での”自分の役割”を見つかる

1.専業主婦から派遣社員そして自分を求めての起業

 ごく普通に学校を卒業し、社会へ出て働き、結婚して家庭に入る。これはこれで一つの人生であり、その是非を問うべきものでもない。そんな環境にあって、〝自分の存在〟を意識し模索するなかで、専業主婦から派遣社員、そして自ら会社を起こした女性がいる。

 東村奈保さん──株式会社ビビッド・ワークスの代表取締役であり、NPO法人ソーシェアの理事長も務める。

「子供がいなかったせいもあるのかもしれませんが、ただなんとなく“これでいいのかな……”と思っていたんでしょうね。かっこよくいえば、この世に生を受けた自分としての存在感がなかったというか。それで何か自分にできることを探そうと、30歳になって初めて本格的にパソコンの勉強を始めました」

 派遣社員として企業に勤めようと思ったのは、いざというときのために自分も仕事を持っておこうという程度の気持ちだった。しかし新しい環境に入り、そこで感じたのが社会の中での自分の存在に対する疑問符。

「Webによる企業広報を担当していたのですが、会社の中で5年後、10年後の自分の姿が見えなかった」という。結局3年ほど勤め、2009年1月、ビビッド・ワークスを立ち上げた。“自分探し”というと大げさかもしれないが、少なくとも将来の道筋を見つけ出すための行動だったといえるだろう。

 ビビッド・ワークスの主な事業は、企業のホームページ制作とシステム開発。前職でのディレクション業務の延長線上にある。企業規模は最小限に止め、案件ごとにプロジェクトチームを組む、ネットワーク型のビジネス展開を考えた。この第一歩により“自分ができること”を明確にした。

2.ソーシャル・ビジネスに目覚めNPO法人を設立

 ひとまず起業を果たした東村さんだったが、心の中は満たされなかった。まだ“社会の中での自分”が見出せないままにいた。

 だが、あるとき、起業家のためのセミナーに参加。そこで『ソーシャル・ビジネス』に出合う。

「仕事をすることが、そのまま社会が抱える問題や課題の解決につながっていく──これだと思いましたね、わたしが求めていたのは」

 これをきっかけに、社会起業家を育成するゼミに入り、1年ほど勉強を重ねる。しかし、ほどなく行き詰まる。Web制作の延長線上では、どうしてもソーシャル・ビジネスとしてのモデルが描けなかったのだ。

「そうこうしているうちに、独身シニアのためのシェアハウスというキーワードを見つけました。そこで立ち上げたのが、NPO法人ソーシェアです」

 13年2月のことだ。

3.個人の課題解決方法としてシェアハウスの情報発信

「人は社会の中で一人では生きていけない。お互い助け合いながら生きていくもの」

 人という種の宿命的な命題に対し、何らかの理由で孤独感や疎外感を内に秘めた人が多い。悩みを本音で相談できる相手がいないのは、若者に限ってのことではなく、すべての年齢層で深刻になりつつある問題だ。

「シェアハウスは、そんな現代社会の課題を解決できる一つの方途」と東村さんは言う。

「シニア向けのシェアハウスがなかったのは、シニアともなれば、だれしもそれなりに重みのある人生を経験し哲学や信念を持っているため、一つの屋根の下で暮らしていくことが難しいから。だからシニアにこだわらず、むしろ多様性に富んだ多世代・シングルマザー・学生・クリエーター等、いろんなタイプのシェアがあっていい。さまざまな人たちに対し、課題解決の一つの方法としてのシェアハウスを提案し、シェアハウスとはどういうものかといった情報提供を行なうのがソーシェアの役割です」

 現在、同NPO法人では、シェアハウスの紹介、ハウスの設立や企画・イベントなどを手掛ける。大手企業が所有する建物、たとえば使わなくなった社員寮をシェアハウスとして活用できないかといった問い合わせが相次いでいるという。

「私たちが描くシェアハウスは、課題の共有や解決を目的としてさえいれば、スタイルは関係ありません。多様なシェアの方法があって当然。そういう意味では無限のスタイルがあり、大きな可能性、役割、そしてやるべき仕事があります」

 将来、ソーシェアの取り組みとビビッド・ワークスの事業がそれぞれ拡大し、ソーシャル・ビジネスとして交わることができる日。東村さんはその日がやって来るのを固く信じている。

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